参考情報:https://www.youtube.com/watch?v=aYK0H85E_oU
Zeptoの物語は、2020年、世界が新型コロナウイルスのパンデミックに見舞われた時期に始まる。スタンフォード大学での輝かしい未来が1年延期となり、ムンバイで「何もすることがなかった」というアディット・パリチャ氏と共同創業者のカイヴァリヤ・ヴォーラ氏。彼らは、多くの人々が食料品の買い出しに苦労していた状況を目の当たりにする。最初のアイデアは、近隣住民のためにWhatsAppグループを通じて食料品を配達するという、ささやかなものだった。
「それは悪夢のような状況でした。パンデミックの第一波で食料品を手に入れるのは本当に大変だったのです」とパリチャ氏は振り返る。この「楽しいプロジェクト」は、ハッカーニュースなどで情報を共有するうちに、Yコンビネータ(YC)のパートナー、ジャレッド・フリードマン氏の目に留まる。「YCパートナーと10分話せる」という告知を見つけた彼らは、半信半疑ながらも応募。これが運命の転換点となる。
8分間のビデオ通話で、フリードマン氏は彼らのプロジェクトにInstacart(米国の食料品配達大手)との類似性を見出し、「これはビジネスになるかもしれない」と示唆。YCへの応募を勧められたパリチャ氏らは、「これは単なるプロジェクトではなく、意味のあることかもしれない」と初めて意識する。
初期の顧客とのインタラクションは、まさに手探りだった。ムンバイで一人暮らしの高齢女性が食料品の入手に困っているのを知り、配達を始めたのが最初の「顧客体験」だ。彼女の口コミでWhatsAppグループの輪は広がり、注文は増えていった。その後、「Kirana Kart(キラナカート)」という名のピックアップ&ドロップサービスを開発する。「キラナ」とはヒンディー語で「個人商店」を意味し、地域の小さな店からの配達を担った。しかし、このモデルでは大きな壁に直面する。顧客のリテンション率が著しく低かったのだ。
「顧客は翌週には3~4%しか戻ってこなかったのです」。この課題を解決するため、彼らはYCの教えでもある「スケールしないことをする(Do things that don't scale)」を徹底的に実践する。創業者自らが配達に赴き、顧客の玄関先で直接フィードバックに耳を傾けた。この地道な努力が、後のZeptoの成功に不可欠なインサイトをもたらすことになる。
なぜ「10分」なのか? 米国では10分配送は単なる「利便性」と捉えられがちだが、パリチャ氏はインド市場では全く異なると強調する。
「インドでは、消費の大半が自宅から4km以内で発生します。食料品の購入頻度は米国の4倍です。人々は少量の商品を週に何度も購入するのです」。牛乳配達員が毎朝訪れ、野菜売りが家の前に現れ、200メートル先には個人商店がある。これがインドの日常的な購買スタイルであり、小売の主流だ。
顧客からは「素晴らしいサービスだけど、朝に来るいつもの野菜売りの方が早い。なぜ2~3時間も待たなければならないの?」という声が絶えなかった。これは単なる利便性の問題ではなく、インドの人々の生活習慣に根差したニーズだった。この気づきから、Zeptoは配送時間を徐々に短縮し、最終的に「玄関先での体験」を再現すべく10分配送へと舵を切る。
さらに、インドの住宅事情(小さな世帯規模)、低い四輪車普及率、生鮮食品を少量ずつ買う傾向、可処分所得の低さといった要因も、少量・高頻度購入を後押ししており、10分配送の必要性を裏付けていた。
この超高速配送を実現するために不可欠だったのが、「ダークストア」モデルの導入と、物流の「フルスタック」コントロールだ。ダークストアとは、オンライン注文専用の小型倉庫のことで、これを各地域に配置することで、注文からピッキング、配送までの時間を劇的に短縮する。
「フルフィルメントと物流をコントロールすることは、顧客への配送時間とSLA(サービス品質保証)を達成するために不可欠でした」とパリチャ氏は語る。しかし、その狙いはスピードだけではない。品質、品揃え、価格という顧客体験の他の3つの柱も、フルスタック戦略によって劇的に向上したという。
現在、Zeptoはオレンジやリンゴといった生鮮食料品から、イヤホンやパーカーに至るまで、約4万5000~5万SKU(最小管理単位)を取り扱う「インターネット・スーパーマーケット・チェーン」へと進化している。サプライチェーン全体を管理することで、高品質な商品を調達し、バックエンドの非効率性を排除することで、より良い価格で提供できるようになったのだ。
プロダクトマーケットフィット(PMF)を掴んだ瞬間は、ムンバイのバンドラ地区に最初のダークストアを試験的に開設した時だった。段ボール箱を並べたような簡素な施設だったが、厳選された品揃えと安定した配送により、顧客の反応は熱狂的だった。「配達した際、顧客の目に輝きがありました。それまでの『遅い』『商品が違う』といった不満の声とは全く違いました」。この小さな成功体験が、その後の爆発的な成長の狼煙となった。
PMFを確信したZeptoの成長は凄まじかった。最初のダークストアの成功からわずか6ヶ月で、GMV(流通取引総額)はゼロに近い状態から2億ドル規模へと急拡大。資金調達も、YCからの12万5000ドルを皮切りに、900万ドル、5000万ドル、そして1億ドルと、わずか4ヶ月の間に大型調達を次々と成功させる。
しかし、その道のりは決して平坦ではなかった。パリチャ氏は「私たちは何度も死にかけた」と語る。特に2022年3月、ロシアのウクライナ侵攻などを背景に資本市場が急速に冷え込み、資金調達が困難になった時期は、Zeptoにとって最大の試練の一つだった。当時、競合他社はZeptoの7倍もの現金を保有しており、まさに「実行か死か(execute or die)」という状況に追い込まれた。
「2022年から2023年は、徹底的な効率化とオペレーショナル・レバレッジの追求が求められました。それは我々にとって存亡に関わる問題だったのです」。この危機感は、結果としてZeptoをより強靭な企業へと鍛え上げた。財務規律を確立し、資本効率を高めたことで、後の成長をより持続可能なものにしたのだ。
シリコンバレー銀行(SVB)の破綻危機も、Zeptoにとって存亡の危機だった。資金の多くをSVBに預けていた時期もあり、一歩間違えれば致命的な事態に陥っていた可能性もあったという。相次ぐ資金調達ラウンドも、常に何らかの金融危機と重なり、困難を極めた。「2023年の資金調達は地獄のようでした。その年のインドで唯一のユニコーンラウンドでしたが、SVBの問題の直後で、調達には7~8ヶ月を要しました」。
このような数々の危機を乗り越えられた要因として、パリチャ氏は「実行力の卓越性」と「高品質な人材」を挙げる。特に人材に関しては、「最大の失敗は間違った採用やピープルマネジメントだった」と率直に認める。危機的状況下では、一つの人事ミスが致命傷になりかねないことを痛感したという。
アディット・パリチャ氏の言葉からは、単なるビジネスの成功を超えた、純粋な「作る喜び(love of building)」が伝わってくる。YCでの経験を通じて叩き込まれたのは、小手先の成功ではなく、人々が本当に欲しがるものを作るという本質的な価値観だった。
「YCの人々は非常に率直でした。『君たちがInstacartやDoorDashのような素晴らしい消費者向けテクノロジー企業を作りたいなら、現状ではPMFを主張できる段階ではない』と。この容赦ないフィードバックが、私たちを本当に成長させてくれました」。
Zeptoの企業文化は、極めて実行重視だ。「Zeptoで働くなら、人生で最高の仕事をする覚悟で来てほしい。ここはそれを引き出す場所だからです」。それは決して楽な環境ではないかもしれないが、野心的で有能な人材にとっては、自らの可能性を最大限に引き出せる場所だとパリチャ氏は語る。
「私にとって、これは仕事という感覚ではありません。生涯をかけた旅のようなものです」。この情熱は、3000人を超える従業員(主にオペレーション部門)にも伝播している。「我々はロケットを宇宙に送っているわけではありません。食料品を配達しているのです。しかし、私たちが掲げるミッションは、『インドで真に偉大なインターネット企業を築き、インドのインターネット革命を本格的に始動させる』ことです」。
パリチャ氏は、Zeptoの成功をまだ「全く近いものでもない」と断言する。「世界クラスのインターネット企業をインドから生み出すという、一世代に一度の機会を手にしていると信じています。AmazonやDoorDash、Mercado Libreのようなグローバル企業と肩を並べられるようになるまで、我々は勝利したとは言えません。それには20年、30年かかるでしょう」。この長期的な視点と揺るぎない野心が、Zeptoを更なる高みへと押し上げる原動力となっている。
インドは、Zeptoにとって無限の可能性を秘めた市場だ。パリチャ氏は、インドの人材の質の高さを強調する。「アメリカのエンジニアも素晴らしいですが、我々のチームも同等に優秀です。多くの人々がこの点を過小評価しています」。競争は激しいものの、サンフランシスコのような都市と比較すれば、依然として高品質な人材を獲得しやすい環境だという。
一方で、インドのスタートアップエコシステム全体については、2022年から2023年の停滞期を経て、まだ「恐怖心と野心の欠如」が見られると指摘する。「もっと大きな目標を目指すべきなのに、現状に満足してしまう傾向がある。私たちは少数派かもしれませんが、常に5倍、10倍の成長を目指すべきだと考えています」。
Zeptoの未来戦略は、PMFの継続的な改善と、提供価値の多角化だ。その一つが「Zepto Cafe」。ダークストア内に250平方フィートほどのスペースを設け、コーヒー、紅茶、スナックなどを提供するファーストパーティの食品配達サービスだ。日本のセブンイレブンのような高品質なコンビニエンスサービスを目指しており、開始から1年足らずで1日10万件以上の注文を処理するまでに成長した。
「1500万~2000万人が毎週アプリを開いてくれる。そこに新しいユースケースを追加すれば、ピクセルを動かすだけで何十万人もの人々を誘導できる。これがこのビジネスの本当にエキサイティングなところです」とパリチャ氏は語る。
広告事業も急成長分野だ。ユニリーバやP&G、コカ・コーラといった大手ブランドをクライアントに抱え、広告収益のARR(年間経常収益)は前年の4000万ドルから、今年は2億ドルを突破した。検索スタック、関連性エンジン、入札・アトリビューションシステム、キャンペーン管理、自動キーワード提案など、高性能な広告プラットフォームを自社開発したことが成功の要因だという。
さらに、エレクトロニクス、一般商品、アパレル、化粧品など、取り扱いカテゴリーも積極的に拡大している。「人々が検索しているのに提供できていないものは何か」を常に分析し、新たなユースケースを追加していく。コーヒーの検索が増えればZepto Cafeを、口紅の検索が増えれば化粧品を導入するといった具合だ。目指すのは「ハイパーローカル・エブリシングストア for ハイパーローカル・インディア」だ。
AIの活用も積極的に進めている。顧客サポートでは、寄せられる問い合わせの50%以上が、ルールベースのチャットボットではなく、Zeptoのユースケースに合わせて調整された生成AIチャットボットによって動的に解決されているという。広告の最適化、サプライチェーンの需要予測など、ビジネスの中核部分にもAIや機械学習技術を深く組み込んでいる。
「数年後、もし我々がうまく実行できていれば、インドから生まれた新しいEコマースの形について話しているかもしれません。中国企業が新しいEコマースを発明できたのなら、なぜ我々にできないことがあるでしょうか?」パリチャ氏の言葉には、確かな自信が漲っている。
Zeptoの挑戦は、単にインド市場における成功物語にとどまらない。それは、Eコマースの未来、そしてグローバルなビジネスモデルに対する多くの示唆を含んでいる。
アディット・パリチャ氏が17歳の自分にアドバイスするとしたら、何を伝えるだろうか。「本当に『作る喜び』のためにやりなさい。それが最終目標であるべきだ。何かを得るために作るのではなく、朝起きて再び作る機会を得るために作るんだ」。
この言葉は、Zeptoの急成長と数々の試練を乗り越えてきた若き創業者の、偽らざる実感だろう。ゼロから1を生み出し、それが社会にインパクトを与え、人々の生活を豊かにしていく。そのプロセス自体にこそ、起業家精神の真髄がある。
Zeptoの物語は、まだ序章に過ぎない。インドという巨大なキャンバスに、彼らはどのような未来図を描いていくのだろうか。10分配送という一点突破から始まった革命は、やがてインドのEコマース、そして世界の小売業のあり方を根底から揺るがす大きなうねりとなるかもしれない。
「人々は1年でできることを過大評価し、10年や20年で起こりうることを過小評価するものです」とパリチャ氏は語る。彼の視線は、数十年先の世界を見据えている。インドから世界へ。Zeptoの挑戦は、私たちにイノベーションの無限の可能性と、「作る喜び」が持つ根源的な力を改めて教えてくれる。その未来から、目が離せない。